うららかびより

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ピーくん、生後84日。いままでのこととこれからのこと。

昨日は夫と一緒に、今年の9月20日に生まれた長男ピーくんが入院している病院へ面会に行ってきました。昼前にNICUに着くと、半目でうとうとしていたピーくん。帰り際に少し泣いてしまいましたが、終始穏やかで落ち着いて過ごせていました。最近は、抱っこやお風呂のときにぱっちり目を開けて、いい表情を見せてくれます。手足の動きがよくなってきて、新生児から成長したもんだなあとしみじみしました。でもおむつ替えのたびに、不意打ちでおしっこ噴射するのは勘弁してほしいwちょっと前に、盛大なブリブリ音とともに私の上で●を漏らしてキャラメル色の川を作りましたし、涼しい顔して豪快なことをやらかすのは、お姉ちゃんの魂子の赤ちゃん時代をほうふつとさせますね。

…などと、少し心に余裕を持てるようになるには、時間がかかりました。

ピーくんは、18トリソミーという遺伝子異常を抱えて生まれてきました。ドラマにもなっている漫画「コウノドリ」でも取り上げられたことがあるので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。数千人に1人の確率で偶発的に発生する疾患で、1つの細胞にある染色体の2対23組のうち18番目のみが3本になっています。重度の先天性心疾患とそのほかさまざまな病気、外的特徴がみられます。流産、死産も多く、無事生まれてきても、1歳まで生きられる確率は10%と言われています。

 ピーくんの病気が分かったのは、だいぶおなかが大きくなってきた今年の7月のこと。今年1月にひさしぶりの妊娠が分かり、正直申しますと私の脳内はお花畑そのものでした。男の子だということが分かって、サッカー好きになるかな?大きくなったらクラブに入れてみようかな!などと、中の人などお構いなしに勝手に想像していました。妊娠経過も、軽い妊娠糖尿病になったことを除けば順調で、赤ちゃんの大きさも問題なしと言われていました。

それが、7月に入って最初の妊婦健診で、羊水が多いとの指摘を受けたのです。そして、紹介状を書いてもらって市内の大学病院で精密検査を受けることになりました。「通常より少し多い程度なので。結果なんともなくて、普通に戻ってこられる妊婦さんも多いですよ」。当時の主治医にそう言われ、私もてっきり戻ってこられると、その時はそう思っていました。何の根拠もなしに。

そんなふうに軽い気持ちで受診した大学病院では、予想外の展開が待ち受けていました。赤ちゃんの耳が通常より小さく、下のほうに付いている。握りこんだ両手指が曲がっていて開かない、いわゆるオーバーラッピングフィンガーの形をとっている。足の形が揺り椅子のように変形している。心室の壁に穴が開いているように見えて、心室中隔欠損の疑いがある…などなど。以上のことを踏まえて、赤ちゃんは18トリソミーの可能性が高いとの指摘を受けたのです。「コウノドリ」に出てきた、18トリソミー。私には縁遠い話だと思っていた、あの病気が。おなかの中でずっとつながっていたのに、なんで気づいてあげられなかったのだろう。悲しくて、悲しくて、悲しさが頂点を越えたときは涙も枯れて、体が固まってどうしようもなくなる。そんなことをその時は知りました。

とにかく無事に生んで、外の世界を見せてあげたい。そのために、NICUがあり産後も赤ちゃんを診てくれるそこの大学病院に急きょ転院して、検査漬けの日々が始まりました。今もお世話になっている小児科の先生の説明、受け持ち看護師さんとの面談…産休に入ってからもめまぐるしく過ぎていく日々の合間に、夜中にふと目覚めると、暗い未来しか想像できなくて、寝室で一人、夫や魂子を起こさないように、声を殺して泣きました。おねえちゃんになれるって生まれる前からピーくんという名前を付けて楽しみにしていた魂子を、傷つけてしまうだろうか。就学前の大事な時期に、心に大きな傷を負わせてしまうだろうか…。ピーくんに会いたいという気持ちよりも、不安や恐れが強い時期でした。

ピーくんは生命力の強い子でした。18トリソミーの子は低体重および早産が多いそうなのですが、生まれる前の推定体重は2800g程度*1、予定日の9月17日を過ぎてもおなかの中にいました。おかげで、半ばあきらめていた魂子の保育園最後の運動会にも出られたのです。予定日前は台風が毎週のように急接近していた時期でひやひやしていましたが、それも乗り切りました。この子は生まれる前から優しくて、強い子なんだ。誇らしくさえありました。

ピーくんは心室中隔欠損*2のほかに先天性横隔膜ヘルニアの疑いがあり*3、産まれても呼吸が不安定ですぐ亡くなってしまう可能性がありました。そのため、産科主治医とNICUの担当医のいる平日日中に誘発して計画的に分娩することになりました。前日から入院し、バルーン挿入や陣痛促進のための服薬など準備を行い、当日の朝を迎えました。

昼には産まれるでしょうという主治医の予想より大幅に早く、本格的な陣痛が来てからわずか4時間半で、ピーくんは誕生しました。魂子お姉ちゃんが広げてくれた産道が、弟を救ったような気さえしました。ピーくんは、小さなかわいい産声を聞かせてくれました。ちゃんと生きて、産まれてきたのです。担当医の計らいで、立ち合い出産ではなかったのに夫が分娩室に呼ばれ、産まれたてのピーくんをだっこさせてもらいました。病気のことを知っていて、気が気ではなかったはずですが、産まれたての息子を見て「かわいい」と言ってくれました。

呼吸が不安定だったピーくんは挿管され、今も入院しているNICUに直行。私はベッドに乗せられて病室に戻りました。少し休んだのち、入院している間は母子分離のままフラフラな体で搾乳をNICUにもっていく日々でした。入院している間は24時間面会可能だったので、しょっちゅう歩いて会いに行きました。光線治療を受けているピーくん。魂子の赤ちゃんの時と同じ姿で丸まりながら、沢山のチューブやコードにつながれた、小さなかわいい息子。初めて抱っこした時は、見た目より重く感じたけれどちっともいやじゃなく、いつまでも抱っこしてあげたかった。無痛分娩ではなかったのに、産後すぐどうしてこんなに動けるのかと自分でも不思議でしたね。危機感や使命感がそうさせたのか。とはいえ、よその赤ちゃんを見るとピーくんの不在がやるせなく、涙を流していたので、どこか、たがが外れていたのでしょう。

入院期間を過ぎて、私のみが退院。それから、搾って冷凍した母乳を持って面会に通う日々が始まりました。途中の道のりや魂子の保育園で、丸々太った男の赤ちゃんを見て涙を流すこともありました。こんな日々がいつまで続くのだろう。ピーくんを連れて帰れる日は、来るのだろうか。私の仕事、どうなっちゃうんだろう。夜中に急変で呼び出されることがありませんように。ピーくんと離れているときは不安でいっぱいでした。主治医との面談で、厳しい状態を説明されたとき、急変した時の処置を決めなければならないときは、つらくて帰りの車で泣きました。クリスマスプレゼントを選んでいるとき、何をいちばんあげたいか考えているうちに「私がほんとうにあげたいのは、健康で何の心配もない体だ」という事実に気付いてしまって、大泣きしました。全然強くない。私の今までの人生、何だったんだろう。情けない、情けない。

本人に会うと不思議とその気持ちはリセットされました。初めてお風呂に入れられた日のこと、その時目を大きく見開いてきらきらした表情を見せてくれたこと、私の顔を目で追っていることに気付いた時のこと…。小さい体で、産まれる前から病気と闘って、頑張っている逞しい息子の姿が、まぶしく見えました。ピーくんの名前を考えたとき、病気でも大事だと思える人たちに出会い、磨きあえるようにと願いを込めましたが、私の気持ちを強くして、磨いてくれたのはほかならぬピーくんでした。親の私があきらめてはいけない。この子の人生に最後まで付き合い、応援したい。一番の味方になりたい。時間はかかりましたが、心の中にどずぐろくたまっていたもやもやが少しずつ、晴れてくるようでした。そもそも、誰かを応援することは、今までだって誰にも強制されずに続けてきたのです。そこで得た忍耐やしつこさwもとい、あきらめの悪さが、今の私を助けてくれている気がします。

魂子も、ピーくんが構われるときはすねたりしますが、大事な弟の帰りを待っています。似顔絵を描いたり、面会の時はおもちゃで遊んだりして、自分なりに弟を大事にしています。

ピーくんは一度、体調不良と無呼吸発作の頻発から絶食して点滴のみの状態となりましたが、今月に入ってからは安定しています。体重も2900g近くなり、赤ちゃんらしくふっくらしてきました。とはいえ明日のことだってわからない状態です。今は落ち着いていても、ふーっと空に帰っちゃうかもしれない。本人にも、誰にも、それがいつなのかはわかりません。その日が来る前に、家に連れ帰って、みんなで暮らしたい。空の日に生まれたピーくんに、きれいな空を見せてあげたい。

これから、どうなっちゃうのかな。長々と書いて、結局どうよって話なんですが。少しでも長く、ピーくんにとって、いい日々が過ごせるように。それを願ってやみません。てなわけで明日も小さな息子を応援しに行ってきます。

*1:実際の出生体重も2500g程度でした

*2:出生後しばらくして、精密検査ののちファロー四徴症だとわかりました

*3:出生後、正式に診断されました