うららかびより

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ピーくんのいない世界を生きる

ここに来るのも、随分と久し振りです。ここだけ読んでくださっている人もあまりいないでしょうが…実は色々なことがありました。

一番大きな出来事は、ピーくんとのお別れです。

魂子が入学式を翌日に控えた4月4日の早朝に急変し、私たち家族が病院へ駆け付けるまで頑張って持ちこたえてくれましたが、最後は私の腕の中で眠るように息を引き取りました。まだまだ一緒に暮らしていけると思っていた矢先の出来事で、覚悟はしていたものの18トリソミー児とのお別れは本当に突然なのだ、だから一日一日が奇跡のようで宝物なのだと身に染みて知ることとなりました。

最後のひとがんばりで病理解剖を受けてくれた息子は、よく似合っていたアンパンマンの肌着を身に着け、大好きだったお風呂の時に使っていたタオルにくるまれ、多くの先生方や看護師さんたちに見送られて退院しました。帰り道に車の中から桜が見せられると思っていたのですが、あいにく季節外れの真夏日が続いた影響で桜はほとんど、がくとはっぱのみ。それでも、初めて浴びるキラキラした太陽光を受けたまるいほっぺは今にも動き出しそう…。少し前からニッコリしたり、じっとこちらを見るようになってきていたので、もう物も言わなくなったピーくんの姿が、一層切なかったです。

お通夜なしの告別式のあと、ピーくんは魂子と私で描いた絵と一緒に、白いまっすぐな煙となってお空へ登っていきました。四十九日法要を経て、チューブやセンサー、そしてしんどい体からも自由になったピーくんの遺骨は、父方の祖母と同じお墓に入って、のんびりしています。我が家のリビングにささやかな仏壇と生前使っていた思い出の品を並べ、毎日供養します。何とか職場復帰を果たした私は、毎朝生前のピーくんの瞳と同じようにキラキラしたクリスタル製の位牌の前で線香をあげ、行ってきますの挨拶をしてから出勤しています。

ピーくんは生まれた病院のNICU、GCUの中で生涯を終えました。私たち家族がちゃんと4人そろうのは、毎週日曜日の午後という限られた時間だけだったものの、それでも待望の赤ちゃんを囲んでにぎやかに過ごすとき、私たちは家族なんだという実感がありました。それが得られたのも、ピーくんがおなかの中にいたときから病院内で連携してくださった産科と小児科の皆さん、親族や周りの皆さん、ここや各種SNSでピーくんの頑張りを見届けて下さった人たちのおかげです。例え定められた命が短くとも、命の重さは変わりないのだとしみじみと感じました。

ピーくんのいない世界は、まだまだ広く寂しさを感じます。でも、私たちが覚えている限りは、ピーくんの存在が完全に無くなるわけではないとも思います。小学一年生になった魂子は、びっくりするくらい逞しく小学校生活を満喫しています。時々空を見上げては「ピーくんがてをふっているよ!」「はいはいしてる」「ひとりでおむつかえてるよ!」などと色々教えてくれます。私たちが外出している時は、お空からついてきてくれているのだそうです。それならばいつまでもめそめそせず、広い世界をみせてあげたいものです。

ピーくんの姿は、3月に出版された18トリソミー児写真集にも収められています。

 

18トリソミーの子どもたち

18トリソミーの子どもたち

 

 この本は一般書店でも販売されていますが、一部の公立図書館にもあるそうです。先日は国立国会図書館にも収蔵されました。私がこの世からいなくなっても、ピーくんが生きた証は半永久的に残るということです。ありがたい。

これからも私たちは、ずっとずっと家族です。