うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

喜びも悲しみも幾年月

あまり景気のいい話ではないのだが、自らの記録のために書き残しておく。

最近、どうにも気持ちが病んで、鬱々としたまま暮らしていた。その気持ちには浮き沈みがあったが、酷いときは家族も会社も世間も、何もかもが敵に見えるくらいだった。きっかけは書き出してみると些細なことで、いつも使っているサービスの中のえらい人にお礼のリプライをしたら、どう言うわけか前後のリプライには返答があったのに、私のだけスルー…うへー、書いてみるとすごくちいさい。恥ずかしい。

ただ、このことを考えてる内にピーくんの月命日である4日と、ピーくんの病気や運命がわかった7月が重なるというついてない巡り合わせがあり、魂子の発熱や病気、クラス内での悩み発覚(自分だけあつ森がプレイできずクラスのメインの話題に全く付いていけない)もあり、負のスパイラルに落ち込んでしまったというわけだ。

月命日、月誕生日のときはどうしたって気持ちが揺らぐし、後悔の念は尽きない。ただ、そういう感情の大波にあえて逆らうことなく飲まれてみることで、対処できるのだと最近は思っていた。でも、今回はそれが出来ずに長引いた。

気づいてしまった。私はまだ、自分がピーくんを健康な体で生んであげられなかった自分を許せていないことに。あのとき、3年前の7月に産婦人科の主治医から「息子さんが18トリソミーになったのはあくまで確率の問題で、誰のせいでもないのです」と言われて気持ちが軽くなったと思いこんでいたが、本当は心の奥底でずっと暗い炎が燻っていた。それは隙あらば、自分自身を焼き尽くして亡くしてしまうような類のものだった。

今になって気づくこともあるのか…と驚くとともに、感情というのはちっとも風化しないのだということを改めて思い知った。日が経てばまた落ち着いてくるのかもしれないが、いつかこれが私を焼き尽くし、家族や見守っていてくれた人たちを苦しめる可能性も十分にあるのだ。どうやって自分の中で飼い慣らしていけばいいのだろう、この荒れ狂うものを。

少しずつ距離を置きながら、考えていきたい。JリーグNPBが日常にもどってきたなど、喜ばしいこともあるし、魂子が独り立ちして壁にぶち当たったときに、いつでも帰ってこられる場所をキープしておきたいから。

40歳を超えて、人生は折り返し地点を過ぎた。これから先、いくつ喜びや悲しみを味わうのだろう。死ぬときに私は一体何を、自分の人生はどんなだったと思うのだろう。ピーくんにまた会うことは出来るだろうか。辛いことはあっても、少なくとも今は死に時じゃない。もう少し踏ん張ってみる。