うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

君の胸で泣かない、君に胸を貸さない

自分の歴史と日本サッカーの歴史を、鮮やかに新しいページへと変えて見せ、中田英寿は行ってしまおうとしている。それは日本代表にかかわった日本人の誰よりも早い。昔から「早いうちに現役を引退して、好きなことをしたい」と述べていた、彼らしいものだと思う。実際W杯直前も、今回のドイツ大会は僕のサッカー人生の集大成だと思って取り組む、というようなヒデメールがあった。ただ、それは代表を引退するのだというようなニュアンスに捉えていた。あるいは心のどこかで気づいていても、それを否定したくて、私は無意識に楽観を装ったのかもしれない。
とても陳腐なことしか書けないのだけれど、十代のころから各年代の日本代表の常連だった彼の歩みは、まさしくJリーグ発足以降ここまで右肩上がりに成長を続けてきた日本サッカーの歴史そのものだった。そしてJリーグ発足と同時にサッカーを観だした私が見つめる日本代表のピッチには、気がついたら彼がいることが当たり前になっていた。同じ年の宮本、松田、西澤、財前などといっしょに、中田英寿が成長して高みに上っていくさまを見つめながら、その高みの片鱗でも理解したくて、サッカーの深遠に触れたくて、サッカーの知識をむさぼりながら、ここまできた。その成長は、蜜月は、永遠のような気さえした。いつか、みんないなくなってしまう。私さえも、いつかはいなくなる。そんなことは今の今まで忘れていた。なんておろかだったんだろうか。
ここ数日、お世辞にも品がいいとはいえない一件*1を皮切りに、監督論争ばかりが高まってきて、正直うんざりしていた。けれど、私はまた改めてシンプルに、考えてみたくなった。南アフリカ大会までの4年間、中田英寿がいなくなり、監督が変わり、FIFAのクソ禿から手のひら返しで引導を渡されたこの日本が、ここから本当に、新しい道のりをはじめていくために何ができるか。喜びも、悲しみも、怒りも、屈辱も、どしゃめしゃに混ざり合ってスコールのような激しさでもって与えてくれた、自分に一番かけていた、「生きているのだ」という実感を当たり前のように与えてくれたこのサッカーという営みのために、何ができるか。
変化は決して、悪いことだけやいいことだけをもたらすものではない。人は、工夫して成長できる生き物だ。意志の強さが頑固に通じ、やさしさが気の弱さに通じるように、善と悪は簡単に摩り替わる。大事なのは、この営みを続けようとする人の意思だ。目の前の事象に真摯に取り組もうとする意思を持って行動する限り、僕らのサッカーは死なない。死なせてたまるかよ。ものや人が、この世界から落っこちそうになったときに手を差し伸べ、救う力。それは愛という気恥ずかしさを伴う言葉に置き換えられるかもしれないけれど、その力は、それを大事に思っている人でこそ持つことができる。それを忘れたくない。反省し、克服し、のりこえること。まずはそこからやっていこう。
引退でもってパンと、目の前にかかっていたもやもやした空気がはじけて、またフラットに、シンプルに、サッカーについて考えられるようになってきた。これがヒデがくれた、最後の贈り物かもしれないと、綺麗にオチをつけておこう。バイバイ、ヒデ。おっさんになってからのほうが人生は長いんだ。幸運を祈る。

*1:あのポロリがなかったら、もう少し雲行きや心象も変わってただろうな…