うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

視線の存在を認識する、ということ

今回の遠征や騒動で、やはりAOQLOがらみ(≒JBアンテナ)のブログはよく見られてんなーということを痛感しましたよ。でもそれは良いことばかりではなくて、「見られる」ということを執筆に対する刺激として捉えられる人もいれば、プレッシャーになってのびのび書けなくなってしまう人もいる。私も一時期、なにかあるたびに意見書かなきゃいけないような錯覚にとらわれたりしてた。今思うと神経質にもほどがあるけど、見えないものはやっぱり見えてるのよりたちが悪いですなあ。
ブログとWEB日記の違いというのを、考えてみる。後者は何回か通うことで空気をつかんで、それに惚れ込んだ人が読者として定着していく流れがほとんどだと思う。それに対して前者は、リンクリスト経由だと記事単位だけで読まれる場合が多くて、例えばいつもと違うのりやあえて厳しい表現をつかうということがそのものズバリ本質と取り違えられちゃったりもある*1アクセス解析の数値変化もちょい違う。ブログは更新した直後にやたら増える。WEB日記は割と、ひとの生活のリズムにあったかんじ。性急なのと、緩やかなのと。
似て非なるものなのだ。だから難しい。勿論、そういうコミュニケーション上の軋轢を恐れてちゃあ身動きとれなくなるのは、わかってるんだけどなあ。
そういうこともあり、AOQLOに参加志願してくださる方はともかく、私から声かける場合は気を使う。単純にアクセス数が増える以上にくっついてくるものがあるから。ひっそりとやるからにじみ出る味わいもあるし、じかに誘ったら断りづらくなるかなという危惧もある。意を決して誘うときも、コメントではなく出来るだけメールにしている。
しかしま、息苦しいだけではないです。例えば遠くにすんでてなかなかガンバを見に行けなかったり、お金を落とすことが出来ない人も、ブログを通してパブリックイメージの向上に貢献できたりもする。いい意見もアクセスの大小によって埋もれることが、減った気がする。
ブログも道具。考えようと使いようですね。
夏休みだからブログを始める学生さんとか、多いんだろうなあ。でもま、なんでもやってみなきゃわかんないよってことです。不安な人は、ひと夏だけでもやってみたらいいんじゃないかって思う。ただ、自分をまったく知らない人が読むんだってことも、忘れずに*2
AOQLOでも勿論歓迎しますんで、お気軽にどうぞ…ってなんだか宣伝みたいなオチだな(笑)。

*1:たとえばAOQLO詳細版みたいな形式のリストが、その傾向を促しているのかも知れない

*2:私も時々忘れてアチャーて思いますが