うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

MG残念号への投稿

もー思いっきり乗り遅れてしまいましたが。ようやく仕事疲れと仕事ボケから開放されたので、書かせていただきます。クリスマスのシフト勤務もはや3回目なんですが、何回やっても終わり際はグダグダです。曜日の感覚や生活のリズムがちょっと普段とずれるだけで、なんでこうもダメになってしまうんですかねえ。はあ。
…っと余計な話は置いといて。本題へ。

思い出の応援

ゴール裏に関しては、まだまだ初心者なんですけども。

  • 「アーレー アーレー さあ歌えクルヴァ コンクィスタラビットリア 飛び跳ねろスタディオ」
    • このチャントが一番好きですね。ただ、中途半端なポルトガル語使いの落とし穴で、最初スタディオがサビオ(ポルトガル語で「賢者」)と聴こえてまして。「おかたい賢者も跳ねる位にスタジアムを盛り上げろ!という意味だろうか。含蓄豊かなチャントだなあ」と、ついこの間まで勘違いをしていました。…ハズカスー!オレマジ小物!!!!
  • フォルツァガンバ ヴィンチ ペル ノイ フォルツァガンバガンバオレ フォルツァガンバ アレアレアレー(x3) フォルツァガンバアレアレー」
    • コールリーダーの独唱から始まって、少しづつみんなの声と重なり圧力が増していく過程が燃えます。「イエローサブマリン」はフットボールチャントの元ネタとしては古典で、世界中のスタジアムで耳にするものですけど、どんなに歌詞を弄っても古びたりださくならないタフさ(笑)が、ガンバにはピッタリだと思います。リヴァプール出身のビートルズの手による、っていうところもまたいいものです。

思い出の小ネタ

寧ろ思い出の燃え残りに含めるようなネタになってしまってすみません。

  • 観られなくてもダンディ

リーグ最終節、川崎F戦の帰りのこと。ガンババスの出待ちの列に巻き込まれてしまって暫く立ち往生。車中からカメラを向けていた大黒に激写をされたり(今にして思えば、変な顔の一つでも作るべきだった)、バナナをもりもり貪り食う實好(もう少しであれがガンバの實好としての最後の姿になるところでした。再契約バンザーイ)をよそに、皇室のみなさんもまっつあおの高貴な微笑をたたえながら、ダンディに手を振る西野監督。しかし周りの人は御目当ての選手を探すのに必死で、ほとんどそちらを観ていなかったような気が…(遠い目)。これにくじけないで来年も50男の渋みを追及して頂きたいものです。

  • さよなら鬼コーチ

今年でサヨナラのロビンソンコーチ。ベルマーレ平塚から移籍された年の、最初の試合前練習で、都築と松代に厳しいコースのシュートを叩き込み続ける凛々しい姿にノックアウトされたのも、ついこの間に思えるのに…。年を経るごとに微妙に枠内を外れていく割合が増えてい…げふんげふん、それはともかく、私を試合前練習マニアへと変えたのは、このお方です。日々たゆまぬ厳しい練習が、GK陣をつわもの揃いの集団に変えてくれました。辛く苦しい時期でも彼らの頑張りによってフィールドプレイヤーやサポーターたちが、幾度と泣く鼓舞されてきましたね。何物にも替えがたい財産をクラブに残してくださってありがとう。これからの人生に幸あれ。

思い出のMG

最終節、川崎フロンターレ戦で配布のお手伝いをしました。チラシ配りは、人生初体験。いい年こいて人見知りで、すぐアワアワしてしまう私が、50枚も配りきれるだろうか。正直不安の方が大きかったです。でもどんどん貰っていただけて、あっという間になくなって。嬉しかったなあ。見知らぬ人間でも、ガンバを好きな気持ちというなかだちでつながれたことを、改めてありがたく思います。この活動を通じて、AOQLOでお世話になっている方や読者の人にもお会いできてよかった。2006年も、関東での活動や、万博へ行ったときにまた、協力させてくださいね。

思い出の燃え残り

あの日、2005年12月3日。等々力競技場。点を取っては取られる厳しい展開だったにも関わらず、声を張り上げながらチリほども負ける気はしませんでした。ほんの数日前に味わった、大宮戦での屈辱が夢であったかのように、彼らは躍動し、労を厭わず走り回り、ボールをゴールに1ミリでも近づける為に最善の努力を尽くしていました。私はそれを目で追うので必死で、頭が壊れそうで。ギリギリの緊張感。ちょうど1ヶ月前のあの日のよう。でも結果だけは同じにしたくなかった。違う結果を手に入れる為になら、魂を売り渡してもいいとさえ、思いました。狂ってるのかもしれない。でもそう思わせる何かが、あの日のゴール裏にはあったんです。
宮本恒靖が起死回生となる2点目のゴールを挙げてからは、涙が流れて流れて止まらなかった。そして頭の中では、初めてガンバ大阪というクラブを認識してから今までのことが、映画のように次々と思い出されました。サポーターにとって必要なものは、体力と空元気とやせ我慢と希望だと常々述べていても、当の私の心は弱くて。楽しかった時より試合を観て辛くなることの方が多い13年間で、幾度となくもう観るの辞めてしまおうかなと思いました。一度は「消えてなくなれ」と、存在さえ否定されたあの日。横浜国際の帰りに、「なんでいつも同じ負け方をするんだろう」と脱力感に塗れた横浜戦の車内。報われる日が来るんだと信じていても、その信じるという行為に、時々没頭できなくなる自分がいました。
J2落ちしなければいいの?このまま上がらず下がりもせずに、中庸のままで、何の為にJ1に踏み止まるの?ガンバの、そして彼らを応援している私たちは、本当にここにいていいの?自分で証明しなければいけない価値。それが出ないことのもどかしさ。応援することで一体何を彼らにしてやれるのか。自分から発したこの問いは、いつまでも目のそらせない位置に居座って、心を締め付けました。
そんな緊張がパンとはじけて、歓喜の渦を作り出すなんて。そんな日が来るなんて。
人前で弱いところを見せるのは苦手です。ふっと気を緩めて柔らかいわき腹を見せたとたんに、グッサリさされる気がして。だから今まで家族や一部の人を除いて、人前で泣いたことなんてありませんでした。でも優勝が決まった時は、震えるように泣いて、一緒に応援していたみんなと泣きじゃくりました。1日2日でふってわいたものではなく、皆で1年かけて掴んだ極上の喜びがどしゃめしゃに、頭の上に降りかかってきました。いてもいいんだ。私は、彼らは、ここにいてもいいんだと。それはとても嬉しい発見でした。13年目の、長く曲がりくねった道の果てにひっそりと横たわっていた、宝物でした。
この日のことは、絶対忘れません。でも、こんな日はひとつだけにしたくない。優勝の喜びを知ってしまうと、人は貪欲になりますね。もっともっと、タイトルを取って欲しいと欲張りになります。これから先、10年も20年もガンバと寄り添って、なつかしいと思える日に出来るだけ立ち会いたい。一緒に作り上げたい。そして彼らがいる限り、私は死ぬまで一緒に歩もうと思います。そして彼らが困って迷いそうになったとき、すっと手を差し伸べられるように、強くありたいと思います。

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…長くてすみません、アワアワ。