うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

おかしみとおかしさとお菓子食べたいのと

どんなに疲れていても、美味しいお菓子を食べたいのと素敵な音楽が聴きたいのとって言う欲望を忘れない俺に完敗、いや、乾杯。
どうにかこうにか這い上がって、よろめいて。PCにたどり着きました、お久しぶりです。まずは挨拶一発ぶっこいてから、コメント返しに励みます。ガソリンはこちら。

FAB FOX

FAB FOX

肩の力が抜けた高性能ポップス(或いはロックンロール)って、元々ストライクゾーンも大きいからいま一番巷に溢れていると思う。ただ、個人的にはかっこよすぎるのも聴いているうちに「ひーごめんなさいごめんなさいいつも腹出して寝ててごめんなさい」と謝りたくなってくるし、泥臭すぎたり人間賛歌すぎるのも「うるせー!いいことばっかりじゃねえんだよ!」と星一徹バリに(この例えが判るヤングはいるかしら…)コンポを投げ飛ばしたくなるので、彼ら位が丁度気持ちにすんなり吸い込まれてゆきます。
あとはこちら。
Nothin' But Sausage

Nothin' But Sausage

昔なつかし「ウォーリーをさがせ!」的なジャケットが素敵だ。健ちゃんみたいな大人になりてえなー。と思いながらもう来年は三十路。「大人になりてえな」って言ってる時点で、もうダメな気がするけどとにかくよい。「君の瞳に恋してる」のカバーはなんて素晴らしいんだ!
来週は待望のくるり新譜がいよいよ発売!買いますぞ。

天気の悪い週末は、普段考えもしない事に思いをめぐらせてみたくなる。
昔は徒党を組むのがとにかくキライだった。

女同士で連れションするのも訳解らないし、自分の事も満足に面倒見られない風情の割には、他人を陰でこそこそ叩く理不尽も理解出来ないから、そういう牝くさいコミュニティには一切近寄りたくなくて、よっぽど気心知れた友達といる以外はずっと1人でいて、できれば一生ずっと誰にも迷惑をかけずに1人でいたかった。人自体にあまり興味が無かったのかもしれない。

それがいまどうしてこうなっているのか。AOQLOなんてつくって、顔さらしちゃってるのか。人に痛みを与えたり、与えられたり。ゲーフラなんて作ってみたり。顔も知らぬ人の物言いに、落ち込んだり憤ったり。陳腐な台詞だけれども、事実は小説よりも複雑骨折的に変化して、そして同時にあったかいものだ。ということに気付くまで、一体何年費やしたのだろう。

今となっては、彼女たちの幼さゆえの理不尽を攻めることは出来ない。寧ろ微笑ましくさえ思う。近くの人間より、紙の中の世界の人間にばかり魅かれていた私もまた、理不尽の子供だったのだから。理はそもそも人が人を縛る為につくったものだが、どういうわけか人は同時に、そこから逸脱していく性質も持っている。それを言い換えると「面白さ」になる。のかもしれない。

なんてこんなんなっちゃったのかなあ。元々わたしゃサポってよりはオタなんですよ。執着ばっかり激しくってさ。ガンバオタ。略してガンオタ

なんつて、おちてません。