うららかびより

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読了:東野圭吾「容疑者Xの献身」(ネタばれはたぶん無い)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

お口直しに…というのは方便で、バナーの文句がさっぱり思い浮かばないので気分転換に一筆したためます。今のガンバの状態もあって、サカー!サカー!サカサカサカサカサカー!ばっかしじゃ、ちょっと息苦しいのでね、ハイハイ。
映画化にあわせて文庫化されていたので、「そういや未読だったなあ」と思い出して購入。帯に書いてある純粋な愛に感動云々より…このラストの残酷さ、救われなさに愕然としました。ここまで、いったい、何のために、彼は…ああ。でもこれで、きれいに彼の思うように行ってたら、二時間サスペンスすれすれの俗っぽさ、お涙頂戴の展開に転ぶ可能性も高い気も。そこをギリギリの際で、踏みとどまったのはさすが。いや、むしろ核としてあるものが「ミステリ」的でなく、それよりももっともっと根源的なものだったから、踏みとどまれたのか。
最近、偶然ですが「殺人に動機付けなど無粋で、無用なのだ」といわんばかりの作品を読むことが多かったのです。最後の最後で伏線が次々と回収され、最後の1ピースがはまり、目の前のカーテンがパッと開け放たれるように、なぞが解けてゆくときのスリル、そして巧妙なトリックに騙されるときの心地よさ。それがミステリの醍醐味。しかし、その快楽を追求していくうちに、「殺人は、業の深い、許されざるもの」ということが心のどっかで置いてきぼりになる。たとえ小説の中でも、人が死んでいる、ということの、重さ。それを忘れてしまう。いちいち直接的に描かれることも少ないし、本という媒体だからこそ簡単に忘れてしまえる部分もあります。
でも理由はどうあろうと、その重さは変わらず、許されざること。それを犯した人間には、めぐりめぐってそれだけの報いが跳ね返ってくる。だからこそ、最後の最後に、どんな形であれ思いを遂げたはずの彼の頭上に振り下ろされた鉄槌は、私の頭にもずっしりと鈍い衝撃を与えたのです。細分化されて、観念的、快楽追求優先型になっていくミステリも多い中、ささやかだけど重要なことを思いだしましたよ…。電車の中で、ぶるぶる震えそうになった。
映画版、どうなるのかなあ。短編の軽妙さとは対極を為すお話だし、単に筋をなぞっただけではめっちゃめちゃ陳腐になりそうで心配なんですが…それに、彼の役は男前じゃいけないと思うぞ*1。ま、百聞は一見に如かず。観ないことには分かりませんね。堤真一、好きだしね(えー)。

*1:花岡靖子が、彼ではなく別の人に魅かれて行ったのは「よくしてくれるけど、生理的に受け入れられるかどうかは別」という理由があったからなんじゃないだろか、と思うので