うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

とりあえずいきていることをたんたんときろくするよ

はー、マイPCのディスプレイがまぶしい。久々に娑婆に戻ってきたような感覚です。24日に試験が終わってから、月末ということで仕事が立て込んで、なかなか家でも立ち上げることが出来ぬまま、3月です。しかも2月は29日までしかない!例年より1日多いうるう年とはいえ、なんとあわただしいことでしょう。それでも仕事の量は変わらないので、やっぱりきつかったです。金曜日に帰ってからぐったり。
残業代はちゃんともらって遠征費にあてちゃったりなんかしますけどね。しかし本当に忙しいのは、通常業務に加えて決算処理をこなさなければいけない4月と5月だったりします。6月はまたしても簿記試験。うひー。そう考えると、上半期は遠征自体難しいな。
なのでその分、3月に集中して観戦予定を入れました。野球にJリーグ、そして27日にはU23代表の強化試合・アンゴラ戦です。安田も選ばれるかな?先日「めざましテレビ」で、五輪に向けてやる気に満ち溢れたコメントを残していたので、こっちも踏ん張って応援にいってやらないとなと思います。もう、水本もうちの選手ですしね。
で、昨日。3月の観戦試合1つ目として、国立にゼロックス杯を観に行ってきました。そうしたら…『Jだ一番!確変カード祭り〜カレーにキムチもあるでよ〜』を見ちゃったわけで。
確かにファウルを取られた岩政の木寺に対するプレーは軽率そのものでしたし、ファウルをとったプレイの一つ一つも、明らかに間違った判断、というわけではありませんでした。PKを取った久保のファウルも、私がいた広島側ゴール裏からではありかなしかもわからず、スローモーションで見てようやく「これは怪しいかも」と分かったくらいです。ただ、脅し代わりにカードを連発し、ルールに則って機械的に裁けばいいってもんではなく、審判の役目はあくまで「ラフプレイがエスカレートしすぎて試合が壊れないようにコントロールすること」のはず。目的と手段が入れ替わると、やっかいです。そこらへんのバランスの難しさを、感じさせた一戦でした。
日本の主審は全体的に、生真面目すぎる傾向があり、かっとなると視野が狭くなってカードを連発します。なんというか、典型的な日本のおっさんなんだなあと思ってしまうのです。しかし、今日の審判は○○だから…と、みすみす自分の目に悪いフィルタをかけてしまうと、サッカーが楽しめなくなる。だから、いい意味で予想を裏切るジャッジをして欲しかったのですが…ひたすら残念です。カードを出し続けることで、自分がヒートアップしてもいけないし、出したカードに選手がすごい剣幕でつっかかってきても、しっかり説明をしてやって欲しいですね。強権を振りかざして押さえ込んでも仕方ない。選手も審判も、一緒に一つの試合を作ってお客さんを楽しませるという目的は、同じ。共存共栄はいつになったら出来ることやら。
もちろん、見る側の私も、完璧にルールを知ってるわけじゃありません。「あれはファウルだろう」とちょっとむかついて、帰ってからルールを調べてみたら、審判のほうが適切な判断をしていた、なんてこともあります。文句を言う側も、言いっぱなしは見苦しい。もうすこし、ちゃんと勉強したいです。
そして、広島が勝ったのは審判の手心が加わったからではありません。確かに、相手ボール保持者に対する体の寄せや、インタセプトからフィニッシュにもっていくまでのスピードなど、鹿島の方が仕上がりが良いと感じさせる場面は多かったです。岩政が抜けた穴も、ボランチの青木がすぐに下がって埋めてしまいましたしね。ただ、判定に翻弄されてわれを失ってしまったのと、やはりPK戦でのキッカーのミスが痛かったと思います。
広島はまだ新しく取り組んでいるサッカーがサッカーの体をなしていない印象。激流に翻弄される木の葉のように、自分たちからなかなか仕掛けられないまま時が過ぎていきました。
その流れを変えたのは、久保竜彦。腰の持病もあるし、どれだけ動けるかなあという心配があったのですが、予想以上に切れがありました。この日の広島は平繁、佐藤のツートップで、後方からのロングフィードを当てる的がない感じ。かといってショートパスもなかなかつながらず追い詰められていましたから、久保が入ってシンプルに速攻を目指すようになってから、迷い無く前へ前へ進めるようになりましたね。そして、久保がいると鹿島の選手たちもやはりポストプレーのときに釣られるんです。存在感の大きさと、今まで彼が積み重ねてきたゴールと実績がそうさせているのでしょう。新加入のユキッチも、まだチーム戦術になじんでおらず、「おいおいそんなとこで棒立ちになっちゃっていいの?」と突っ込みたくなる場面もありましたが、運動量が豊富で面白い存在でした。後ろのほうに座っていた小学生軍団が、名前を気に入ったらしく「ユキッチユキッチ!」「ユキッチがんばれっ」ってひたすら名前を連呼してたのが面白かったっすね(笑)。
何はともあれ、広島がJ2を戦う上で、久保が入ってからのような試合運びができ、主要メンバーがピッチにたってそのイメージを共有できたことは良かったと思います。名前ばっかり強そうでその実言葉を知らない、可哀相なクソジジイこと、鬼武チェアマンのいうことなんか気にせず、J2を駆け抜けていただきたい。
みそもくそもついちゃったような、開幕前哨戦でしたが、試合前の両ゴール裏から聞こえるチャントを全身一杯に浴びながら、「ああ、Jが戻ってくる。もうすぐ楽しくも業の深い世界に私は戻るのだな」と、感慨にふけっている私がおりました。勝ったり負けたり、怒ったり泣いたり。私がスタジアムでそういった感情を抱いてる反対側で、まったく正反対の感情を抱いている人たちがいて。勝ったときは、私たちが空に向かってはなつ歓喜のチャントの隙間から、彼らの希望がぐしゃりとつぶれる音が聞こえるような気さえします。言ってしまえば他人の絶望を食って自分の希望に変えて、勝ち続け、生き続けるサポーターとか言うポジションは、何とも因果なものだろうなと思います。でも、好きにならずにいられない。歌わずにいられない。歌が選手たちの耳に届いて、一ミリでも長く、一秒でも早く、走らせることが出来るなら、いつまでも歌い続けます。人との一体感?同じ歌を歌うことの高揚感?そんなものどうでもいいよ。一緒の歌を歌ったほうが届きやすいから歌うけれど、歌っている間は、私と、ピッチと、好きなクラブと、相手のクラブと、これしかいなくていい。それだけありゃ、充分じゃないですか。かっこつける必要なんて、ぜんぜんない。
またそういう日が戻ってくるのだと思うと、ただひたすらに、武者震いがしますね。昨日のスーパーサッカーで「ガンバ強そうですね」なんていってた加藤に小倉、見てろ。ガンバは「強そう」じゃなくて「強い」んだっつうの。…ってああ、すみません。驕り高ぶってしまいました。10年前ならこんなこと言っても失笑ものかド変人扱いされるだけですが、今ならちょっとぐらい言ってもいいかな?と思える。そういうところにガンバは来ました。10年後や20年後、西野さんがいなくなったら一体どうなるんだろう?という不安はありますが、ちょっとだけ、忘れてみます。超攻撃だろうが超守備だろうが、ガンバはガンバです。とりあえず今年は、黒光りするジジイに率いられるガンバ大阪を応援しています。
お父さんお母さんごめんなさい。もう私、サッカーがないといろんな意味でだめみたいです。ギャフン。