それでも本当はわかってたんだろ どこか変だなと思ってたんだろ
オシムジャパンって、本人たちよりもむしろ、観ている周りの方が、負けることに対してナーバスに成りすぎている印象がある。チームが出来てすぐのわりには、求められている潔癖さや完璧さのハードルが、やけに高い。
しかし代表のサッカーに、確固たる色がなく、クラブチームほど練習時間をかけられないとなると、オシムジャパンとしての色が湯の中のティーバックが如く滲み出して来るまでには、もうちょっと時間が必要だと思うのだけど。1年くらいはかかるんじゃないかな。だからオシムさんはいまのところ、応急処置的に、教え込まなくても走れる犬っ子や浦和っ子を呼ぶのだろう。
しかしこの極端な潔癖症。根底にあるのは、「オシムで勝てなかったら、日本のサッカーはどうなってしまうんだ」というでかい恐れなんじゃないだろうか、とふと考えた。やはりそれだけ、それぞれの心の中に、ドイツでの敗戦は傷として残っているということか。
世界的名将という看板を担ぎ出した挙げ句、早くもその重みにヒイヒイ言っているような、協会やマスコミもなんだかな、だ。もうちょっと健康的な議論が起こって欲しい。
確かにある程度の議論は必要。しかし度を超すと目的と手段など簡単に入れ替わる。言ってる俺の格を上げるための、声高な意見。ばかばかしい。その声でチームの成長の芽を押しつぶしたりするようなことが、なければいいとおもう。
だからなんかちょっと代表がらみのサッカーを語ることが、ひどくきゅうくつなものに思えてしまう。正直めんどい、特に最近は。ただ、観ることに興味を失ったわけじゃない。代表にいれば、いや、いなくたって、達也君も我那覇君も寿人君も、みんな愛すべき連中だ。
試合観てないからよくわかんないけど、みんな怪我も病気もせず帰ってこいよ。