うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

何を見てもあの子を思い出す


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ついこの間まで黒とオレンジと紫に彩られていた街中が、もう素知らぬ顔で緑と赤に衣替えされてしまった。赤ちゃん連れの家族を見ても寂しくなったり妬ましくなったりはしない。よそはよそ、うちはうちだ。

去年の今頃は、ピーくんとともにクリスマスを過ごすことを目標に、がむしゃらに行動していた。来年は家族全員そろって家でクリスマスを過ごすのだと、近所のショッピングセンターに毎年立てられる、立派なクリスマスツリーを皆で観るのだと。そう信じていた。なのに今はもう、傍らにちっちゃなこぐまちゃんみたいなかわいい息子がいないことに、寂しくなり胸が痛む。クリスマスのどんなものを見ても、ピーくんを思い出すのだ。

今までピーくんが生きていたら、毎日医療ケアで寝不足の毎日を過ごしていただろうか?私は職を失っていただろうか?それでも、一日でも長く、一緒に生きていたかった。長く生きるほどに、楽しい思いをする機会も増えたはずだから。君はみんなを悲しませるために生まれてきたわけじゃない。充分な喜びをくれたのだから、少しでもそれに報いたかったよ。

今頃はお空でどうしているかな。クリスマスには、ケーキを食べに帰っておいで。なんて、離れて暮らす大学生のカーチャンみたいなことを考えるのだった。

見送り、見送り、そしていつか見送られ

訃報 - NEWS - ROSE RECORDS
私が大学時代から好きだったバンド、サニーデイ・サービスのドラマーである丸山晴茂さんが、5月に亡くなっていたことを今日知りました。また1人、大好きな人がいなくなって、大好きなバンドがかつての姿でマジックを再び起こしてくれる機会は永遠に失われました。
40を過ぎてからというもの、知人ではなくとも活躍を知っていた人や大好きだった人を見送ることが多くなりました。老いるとはこういうことかと、胸の奥が痛む度に、強く思い知らされるのです。
それに今年は何より、大好きな息子の最後を見届けた、私にとって忘れがたい年です。火葬が終わって、小さな白い骨になって戻ってきた姿は多分ずっと忘れないでしょう。できれば、この子に私の余生を全部あげたかった。私個人はもう充分に生きたと思っていますから。しかしそんな非科学的なことは出来やしないし、もしそうなったら魂子の心はどうなってしまうのか。会社で私の代わりはいても、魂子にとっては私の代わりはいないのです。だからせめて、天命で死ぬまでは、生き続けることにしました。
こうして、誰かを見送って、見送って、見送り続けて。そしていつか私も、誰かに見送られるのでしょうね。位牌に灰を投げつけられなきゃいいなあと、このビビりはついつい考えてしまいます。この年になると、人生の終わりがぼんやりと見えてくるものなんですね。果たして、どんな人生だったって、言えるのかなあ。何でも終わってみないと、わからないもんです。
だいぶ脱線してしまいましたが、改めて、丸山晴茂さんのご冥福を慎んでお祈り申し上げます。いままで、ありがとうごさいました。さようなら、晴茂くん。これからも、残してくれた音を聴いていきます。
このアルバム、好きだったな。

LOVE ALBUM

LOVE ALBUM

ピーくんがTeam18 2018写真展に参加します

前回の記事、多くの方に読んでいただいたようで嬉しいです。ありがとうございます。約1万人に1人という確率の割には、知名度が少ない18トリソミー。今頑張っている子供たちやこれから産まれてくる子たちへの支援へ目が向けられるように、これからもできる形でお手伝いしていきたいです。

そういうわけで先日、18トリソミー児写真集でもお世話になったTeam18主催の2018年写真展に、ピーくんの写真を応募しました。7月からの1年間、ピーくんを始め多くの18トリソミー児の写真が日本各地をまわります。本日時点で発表されているスケジュールは、下記の通りです(Team18のwebサイトより引用)。

現在決まっている写真展

 7月 8日(日)~ 東京:東京国際フォーラム(第54回日本周産期・新生児医学会学術集会)

11月 3日(土)  高知:高知医療センター

開催を予定している写真展(学術集会、シンポジウム会場内での展示)

11月23日(金)~ 東京:砂防会館(第28回新生児看護学会学術集会)

 2月 8日(金)~ 大阪:大阪国際会議場(第37回周産期学シンポジウム)

 7月13日(土)~ 長野:長野県松本文化会館(第55回日本周産期・新生児医学会学術集会)

2018~2019内で日程、場所の調整をしている写真展

 岩手県、長崎、島根県奈良県

我が家は現地に足を運べるかまだわかりませんが、ピーくんにとっての初めての旅がよいものとなるよう願っています。

ピーくんのいない世界を生きる

ここに来るのも、随分と久し振りです。ここだけ読んでくださっている人もあまりいないでしょうが…実は色々なことがありました。

一番大きな出来事は、ピーくんとのお別れです。

魂子が入学式を翌日に控えた4月4日の早朝に急変し、私たち家族が病院へ駆け付けるまで頑張って持ちこたえてくれましたが、最後は私の腕の中で眠るように息を引き取りました。まだまだ一緒に暮らしていけると思っていた矢先の出来事で、覚悟はしていたものの18トリソミー児とのお別れは本当に突然なのだ、だから一日一日が奇跡のようで宝物なのだと身に染みて知ることとなりました。

最後のひとがんばりで病理解剖を受けてくれた息子は、よく似合っていたアンパンマンの肌着を身に着け、大好きだったお風呂の時に使っていたタオルにくるまれ、多くの先生方や看護師さんたちに見送られて退院しました。帰り道に車の中から桜が見せられると思っていたのですが、あいにく季節外れの真夏日が続いた影響で桜はほとんど、がくとはっぱのみ。それでも、初めて浴びるキラキラした太陽光を受けたまるいほっぺは今にも動き出しそう…。少し前からニッコリしたり、じっとこちらを見るようになってきていたので、もう物も言わなくなったピーくんの姿が、一層切なかったです。

お通夜なしの告別式のあと、ピーくんは魂子と私で描いた絵と一緒に、白いまっすぐな煙となってお空へ登っていきました。四十九日法要を経て、チューブやセンサー、そしてしんどい体からも自由になったピーくんの遺骨は、父方の祖母と同じお墓に入って、のんびりしています。我が家のリビングにささやかな仏壇と生前使っていた思い出の品を並べ、毎日供養します。何とか職場復帰を果たした私は、毎朝生前のピーくんの瞳と同じようにキラキラしたクリスタル製の位牌の前で線香をあげ、行ってきますの挨拶をしてから出勤しています。

ピーくんは生まれた病院のNICU、GCUの中で生涯を終えました。私たち家族がちゃんと4人そろうのは、毎週日曜日の午後という限られた時間だけだったものの、それでも待望の赤ちゃんを囲んでにぎやかに過ごすとき、私たちは家族なんだという実感がありました。それが得られたのも、ピーくんがおなかの中にいたときから病院内で連携してくださった産科と小児科の皆さん、親族や周りの皆さん、ここや各種SNSでピーくんの頑張りを見届けて下さった人たちのおかげです。例え定められた命が短くとも、命の重さは変わりないのだとしみじみと感じました。

ピーくんのいない世界は、まだまだ広く寂しさを感じます。でも、私たちが覚えている限りは、ピーくんの存在が完全に無くなるわけではないとも思います。小学一年生になった魂子は、びっくりするくらい逞しく小学校生活を満喫しています。時々空を見上げては「ピーくんがてをふっているよ!」「はいはいしてる」「ひとりでおむつかえてるよ!」などと色々教えてくれます。私たちが外出している時は、お空からついてきてくれているのだそうです。それならばいつまでもめそめそせず、広い世界をみせてあげたいものです。

ピーくんの姿は、3月に出版された18トリソミー児写真集にも収められています。

 

18トリソミーの子どもたち

18トリソミーの子どもたち

 

 この本は一般書店でも販売されていますが、一部の公立図書館にもあるそうです。先日は国立国会図書館にも収蔵されました。私がこの世からいなくなっても、ピーくんが生きた証は半永久的に残るということです。ありがたい。

これからも私たちは、ずっとずっと家族です。

2018年3月6日(生後167日):久々に会えた息子

インフルエンザは順調に回復し、3月5日から外出できるようになった。早速魂子を保育園に連れて行ったのだが、それだけでふらふらになってしまった。そして帰宅後は、布団に倒れ込んで昼まで寝た。思った以上に体力が落ちていることに驚いた。全く食べられずに、OS-1だけで過ごした日もあったからなあ…。立ち上がるだけでふらふらする。何とか食料品の買い物には行ったが、結局この日はピーくんに会いに行くことが出来なかった。

翌日3月6日。いよいよピーくんに会えると思うと、昨晩はなかなか眠れなかった。遠足症候群というやつか。家族なのに、産まれたときからずっと離れている私達。いつかこの距離が、なくなってしまえばいい。

病室に着くと、10日ぶりに会った息子は穏やかな表情で出迎えてくれた。相変わらず呼吸器や酸素が必要で、元気が有り余っているというわけではないが、急変することなく待ち続けてくれていただけでも充分頑張り賞だ。前回注入時のミルクが消化しきれておらず、胃残が多くあったのが注入時に分かったのは心配だったが、このあたりは素人が考えても答えは出ないので、主治医の判断に任せる。この時は結局、胃残を差し引きした分だけ注入することになった。小さな体に負担をかけないのが一番だが、大きくなって丈夫な体になって欲しいという願いもあり、悩ましい。

この他に親が出来ることといえば、猫可愛がりと沐浴くらいのものだ。たくさん話し掛けて、頭や手足を撫で、赤ちゃん絵本の読み聞かせと人形であやした。音楽をかけると、ゆったりと落ち着いた顔をする。ちゃんと聞こえているようだ。今は殆ど一方通行のコミュニケーションのみだが、ピーくんの心に少しでも届いていますように。単調な入院生活の、わずかな気分転換にでもなっていますように。

楽しい時間はあっという間に過ぎていく。帰る前に、ピーくんの大好きなお風呂に連れて行った。少し前までは湯を満たしたプラスチック製のベビーバスをワゴンでベッドに横付けし、入浴させていた。ところが身長が伸びて狭く感じられるようになってきたので、NICU内にある沐浴室備え付けの大きめの浴槽を使わせてもらうようになった。ベッドからは離れているので、ピーくんの鼻に酸素を流すカニューレを携帯用酸素ボンベにつなぎ替え、そのボンベを私が背負って連れて行く。ダイビング等未経験なので、初めてのときはボンベの重みをずしっと感じた。ボンベがらみ以外はだいたい同じなので私は慣れたが、ピーくんは支えのない体がプカプカ浮くのはまだ心細いらしく、沐浴の度に少し泣かせてしまう。入浴後はほっとした表情になり、ぐうぐう寝る。ちょっと大きくなったけど、お風呂の気持ちよさは変わらないこと、感じてくれたかな。

ぐうぐう気持ちよく寝る息子を見ると、親としての達成感をかんじる。しかし、帰宅した後のことを思うと…正直頭が痛い。インフルエンザにかかっていた間、確定申告に魂子の卒入準備など、あらゆる作業が止まってしまっていた。嫌だからって逃げるわけには行かないことばかりなので、なんとかしないとな。3月、まだまだがんばりどきは続く。

 

五月雨式感染からの起死回生

思えば2/26(月)。この時からいやな予感はしていた。前述通り、魂子がインフルエンザA型陽性と判明。数年前の4月にも季節はずれのインフルエンザにかかった魂子、その後看病に当たっていた私もがっつり罹患し、夫のみ無傷でピンピンしていた。あのつらい日々は繰り返すまい…そう思っていたのだが、結果はお察しの通りだ。

この日の夕方、私の体温は平熱35度台後半のところ、37.1度。微妙…。いやまさか…。しかしこれ以外にインフルらしい症状は出ず、普通に眠ることができた。ただ、マスク着用の上だったが、まだひとりで眠れない魂子と同じ部屋で寝た。これがよく無かったのかもしれない。

次の2/27(火)、午後3時を回ったあたりから体調が激変。突然に寒気と激しい頭痛、関節痛に襲われ、一度横になったら起きあがれなくなった。体温はこの時点で37.9度。またしても、私にしては高いけれど高熱と言うには微妙…。しかし体温を除けば、典型的なインフルエンザの諸症状がフィーバーしまくりではないか。やっちまった。下手に薬を飲むことも出来ず、ひたすら水分補給と熱さまシートで誤魔化しながら、無理やり寝た。

2/28(水)、夫が会社を休んで感染しないよう距離をおきながら魂子を観ていてくれることになったため、いつ行くの?今でしょ!とどーにかこーにか体を起こしてヘロヘロ歩いて、地元の内科へ。目下の症状と、子供が既にインフルA型と伝えるとまずは検査ということになった。そして結果はやっぱり、クロ。ギギギギギギ。処方する抗インフルエンザ薬は5日分の飲み薬タミフルか、一回の吸入で終わる薬イナビルのどちらかと問われ、病気でいつもよりめんどくさギアが入った私は後者を選んだのだった。「失敗したらやり直し効かないから、薬局で教えてもらってその場で吸ってね!」と、先生。その言葉は正しかった。熱で溶けた頭にはけっこう難しかった…そのぶん一発キメれば飲み忘れなしなので、万歳である。

その日は薬局でOS-1と、食欲がなくても比較的食べやすそうな焼き芋スティックというお菓子を買ってまっすぐ帰った。後に食べてみたところ、適度な甘味があってもちもちしててうまかった。咳、鼻水などの薬ももらっていたので、飲んだらほっとした。そして、その晩は熱が38.8度まで上がったけれど、それでもなんだかほっとした。自分の中で巻き起こる得体の知れない嵐に、ようやく名前が付いて正体がはっきりしたからだろう。たとえそれが、インフルエンザA型であろうとも。わかんないよりゃうんといい。

翌朝、嵐のようだった2月はいなくなり、3月になっていた。いよいよ年度最終月。まだ仕事をしていたら、とても忙しかったことだろう。魂子にとっては、保育園最後の月。夫に頼んで、最後の保育料を園に納めて貰ったときの感慨深さったらなかった。いよいよ、来月からは小学生なのだ。

月が変わると共に、私の中の嵐もおおかた静まったようで、寒気と熱は無くなった。少しばかりの頭痛や、ろくにものを食べられなかったための体力低下が起きたため、無理せず寝ることにした。昼ご飯は卵かけご飯とみかんを食べてひたすらダラダラ…この辺りは元々得意分野だ。問題ない。

しかし、夕方早退してきた夫の様子がただならぬものだった。体温は36度台ながらも、激しい頭痛と寒気、そして倦怠感があるという。ひょっとして、これはかなりの確率でアレではないか。もし現実なら、一家全滅、最悪の事態。とりあえず私が体調を崩しはじめた日と同様、熱さまシートと水分補給で落ち着かせて寝てもらったが、このタフガイ、なんと翌朝、すなわち今日起きたら症状がさっぱりとなくなりケロッとしていたのだった。念のため受診させてもインフル陰性、異常なし。出張疲れが出たものだろう、とのことだった…。冒頭で触れた数年前の4月と同じミラクルをまた起こしてしまったのだ。アカン、ポルナレフのあの台詞を思わずポロリしてしまいそうだ。確かに普段からほとんど風邪を引かないけど、どうやったらそんなにウィルスを寄せ付けない体に出来るのだろう。教えてほしいもんだ。しかし、私が日曜日までは自宅安静期間である以上、 今うつってないといってこれから先も大丈夫とは限らない。日曜日にピーくんの様子を見に行ってもらう必要もあるし、引き続き隔離をしっかりしていきたい。ひとまずほっとした。一人でも家族の健康を守れたのだから、いいことだ。

ちなみに魂子はというと、昨日あたりから元気を持て余しており、ほぼ通常営業だ。夜に熱が上がらなければ、明日より晴れて外出解禁となる。

気がついたら自分が一番の病人になっていた。それでもあともう少し、ふんばりどき。私の自宅療養期間は最短で日曜日まで。幸い、インフルの診断を受けた翌日から熱はスコンと下がった。イナビルすごい。そんなこんなで、ぼちぼちがんばろう。

とりあえずカーチャンは体力が欲しい

大変だ大変だ。J1が開幕してうれしいけれど、喜んでばかりもいられなくなってしまった。最近ピーくんが穏やかに過ごせてると思って、油断してた。姉さん事件です。というか、姉さんの方に事件です。魂子がインフルエンザA型という流行に乗っかってしまったのだ。

まず、2/23(金)。朝の時点で体温が平熱36.3度に対して36.9度。発熱とも言えぬ微妙なところ。乾いた咳も少ししていたものの元気はあったので、マスクを着けて登園した。で、昼からのピーくんの面会後に懇談会へ参加したところ、今になってインフルエンザA型が流行ってるとの情報が入ってきた。なんてこった。なかなか流行らないから今シーズンは大丈夫かな、と勝手に油断しとったがな。ピーくんのこともある*1から、もう少し早く教えてもらいたかった…。でも、インフルエンザって高熱になるのだし、食欲もあるからこの体温なら大丈夫よね。この日はそんな風に何事もなく終了。

続く2/24(土)。相変わらず、微妙に上昇したままの体温。お昼は食欲もあり、大好きな習い事にも行くことが出来た。終わってからは家族で近所のショッピングセンターへ買い物へ。ここまではいつも通り。しかし、ありがたくない変化は夕食後に起こったのだった…。なんと、大好きなぶりの照り焼き、そしてほとんどのおかずを口にしなかったのだ。そして、「たまこちゃん、おふろやめる」「あしたは、ピーくんにあいにいくのやめる…」と自ら申告して、寝てしまった。体温は今朝から上昇していないが、何かおかしい。その晩は寝つきがわるく、夜中に何度も起きた。赤ちゃんの頃から、一度寝たら朝までぐっすりな子が…。やはり、おかしい。

翌日2/25(日)、体温は一気に38度から40度近くまで上がってしまった。当然ながら、家族面会は取りやめ。夫のみ行ってもらった。この日魂子が食べられたのは、我が家の風邪の時のスペシャルフードであるすりりんごのみ。ただ、水分は取れていたので、一日安静にさせて、翌日にかかりつけ医の予約を取って受診することにした。この晩も何度も起きた。

そして、今日である。体温は朝の時点で36.7度まで下がったが、せき込みすぎて泣き出した次の瞬間だった。なんと、昨日から食べていたすりりんごをグレートムタの毒霧のようにブワーッと、吐き出してしまったのだ。コレには思わず声が出たが、胃腸炎でも無さそうだし急いで片づけた。年長になってからというもの、めったに休まなかった魂子が。早くこの苦しみを取り除きたい。幸い、しっかりした足取りで歩くことは出来たので、予定通り受診することはできた。

覚悟は出来ていたが、やはり検査の結果はインフルエンザA型陽性。タミフルと諸症状に効く薬をもらって、速攻帰宅した。一気に熱が上がった昨日を0日目として、最低でも発症してから5日間、かつ熱が引いた状態が3日以上続かなければ登園はできない。ああ、遅れてきたビッグウェーブに乗ってしまったなあ…。流行りだしたことにもう少し早く気付ければ、マスク着用で登園させたのに。後の祭りだ。不幸中の幸いは、処方薬を飲み始めてから見違えるように元気が出て、冗談を言えるようになったことか。やはり、我が子のぐったりした姿を見るのはつらい。治りが早そうなのはいいことだ。

夫に連絡すると、急な出張が決まって明朝早くから西の方へ行かないとならないとのこと。まだ仕事やってたら積んでたな。育休中で良かった…。ちなみに夫、「次にいつ行けるか分からないから」と、帰宅後すぐにピーくんの病院へ在庫切れしそうな物品や着替えを持って行ってくれた。小さな息子は穏やかに過ごしていたとのこと。しばらく寂しい思いをさせてしまうかもしれないけれど、NICUにいる限りは感染症の心配はない。第2のお父さん、お母さんというべき人達が守ってくれる心強さも感じた。私への感染も心配だが、ひとまず安心して、魂子の看病に集中できる。

やっぱり、たくさんの人に助けられているなあ。しみじみ思った夜だった。魂子がこのまま順調に回復しますように。看病は体力勝負。寄る年波に負けつつあるけど、そうも言ってられない。がんばるぞ。

*1:当然ながら、罹患すると面会禁止なのだ