うららかびより

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【2010年プチオフ企画】天皇杯の思い出

えー、最終節のバナー告知眠気に負けてしませんでしたすみません。近日中に差し替えます。他にもアウォーズとか、もろもろの移籍話とか。いろんな話題が頭の上を通り過ぎて行ったような気がしますが…先生じゃないはずなのに忙しさにかまけていたらあっという間にあと半月で今年も終わりです。ああ。
さて、締め切りも迫ってまいりました2010年プチオフ企画。やはりいいだしっぺが書かねばなりません…というかもう少し早く書け自分。はい、すみませんすみません。ちなみにちょろっと本音を書くと、各AOQLO登録ブログをリストから拝見しているときに「とくに書くことがない」というくだりを見つけるたびに、「お兄さん、ええ企画ありますがな」と心の中でやわらかく突っ込んでいる(でも直接は言えない)へたれなわたくしであります。
企画に関して、詳細はこちら。締め切りは、19日いっぱいです。よろしくお願いいたします。
では、長い前振りはここらへんで終わりにして、本題へ。
天皇杯の思い出、それはさかのぼること14年前の1996年12月26日。準々決勝での京都パープルサンガ(当時)との対戦です。場所はなんとびっくり、三ツ沢球技場でした。
現行の大会規定ならば、準々決勝ともなるとカードによって便宜が図られ、どちらかのホームタウンのスタジアムが会場として割り振られますが、当時はトーナメントが組まれた時点でガッチガチにすべてのカードの会場がきまっていました。4回戦で富士通川崎(のちの川崎フロンターレ)を下したガンバは、横浜フリューゲルス京都サンガの勝者と対戦することになっていましたが、勝ち残ったのはサンガ。トーナメント表を組んだ人は、フリューゲルス富士通川崎が上ってくるのを予想していたんでしょうか…そりゃ神奈川県のクラブ同士の戦いなら三ツ沢はいいですけどねえ。まさか関西のクラブ同士が、関東に場所を移して戦うことになろうとは…。かくして、後にも先にも三ツ沢球技場では実現しにくそうなカードに決まったのでした。しかも、キックオフは平日、木曜日の夜。12月ですよ。なんという逆境。決まった時は噴きましたって、もう。
当時、大学生だった私は「一体何人来るのだろう…」とびくびくしながらスタジアムに向かいました。そうしたら案の定、人はまばらもいいところ。人が座ってる椅子を見つけるほうが難しいくらいです。今でこそガンバは、関東のアウェイゲームでも関西在住者を含めてサポーターがたくさん駆けつけ、大いに力の入った応援が成り立っていますが、当時はとても少なく、まとまりもありませんでした。そして関東、平日夜、12月の寒さという悪い条件が重なったわけで…資料もなく記憶も定かではありませんが、2千人もいなかったんではないでしょうか。寒いうえに人が少ないので、やけに心細くなりましたね。
正直、試合内容よりは体の芯から震えあがって身がこちこちになったという思い出のほうが強く頭に残っています。スコアは3-2で、ガンバの勝利。今以上にわきが甘いチームでしたし、やってるサッカーも全く違うのですが、スコアそのものには今のガンバらしさにも通じるものがありますね。取ったり取られたり、ということで(笑)。
結局この大会は、次の準決勝でサンフレッチェ広島に負けて敗退してしまうのですが、当時はリーグ戦がどんなに駄目でも天皇杯だけはするするっと上まで行ってしまうのが不思議でした。優勝するまでは、だいぶかかってしまいましたけどね。今やネット上にも資料はあまりなく、ガンバ史上でもさほど重要とは言えない試合ですが、そんなこんなで妙に印象に残っているのでした。正式発表前の振り分け会場当ての時期になると、この試合のことを思い出しては、ああいう体験はもうなさそうなのを嬉しいようなさびしいような、複雑な思いを抱くのです。
オチが付いてないような気がしてお恥ずかしいですが、こんなとこで。
あなたからの投稿もお待ちしております。暇ならでいいですw