うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

ただ、君たちとスタジアムと仲間がいさえすれば

何でもできる。1部だろうが、2部だろうが、そこにありさえすれば。
そりゃあ枝村に2試合で3点取られてるあたり、対策が出来ていたのかはなはだ疑問だし(調子が上がってこないときこそ、原点に返ってちゃんと理詰めをやるべき)、監督と選手は猛省して欲しい。今の面子でこれまでどおりの天然仕込の破天荒サッカーを仕掛けただけで、勝つのは難しい。オシム氏時代の千葉のごとく綿密な対策を施された時は一様に弱く、それでいて対策は先送りされてきた。ガードの固いノーガード、というべき状態はそれはそれでガンバのチャームポイントでもあったし、攻撃的な姿勢を支えるためのスタイルだったから、監督もこの点どうするかは悩ましかったろう。それに対するひとつの答えとして、今年の「遅攻」というアプローチはあったんじゃないかと思うけれど、それを根底から揺るがすような人事往来で見事にちゃぶ台はひっくりかえされた。こんな風に弱ってるときに、過密日程ドン!さらに倍はつらい。今年は、まだまだ上にいけるという確信をもちにくくなってる。けど、だからってなんでガンバそのものに絶望なんてしなきゃいけないんすか。試合を現地でちゃんと観てないから、ダメージが少ないかもなあ…って思うんですけど。それでもやっぱり、最後まで見ていたいという気持ちは変わりません。
ひとつのチームが、なすすべなくつぶされていく過程を見たことがあります。ある日突然、スポーツ新聞に踊る「消滅」の文字。彼らは自分たちの存在価値を証明すべく、歯を食いしばるように勝ち星を積み重ね、天皇杯で優勝した。歓喜は、爆発するはずだった。それなのに、それ以上にチームがなくなってしまうことが悲しくて泣かずにはいられないみんな。この世で一番悲しい、優勝の瞬間。そんな光景が、10年たっても頭から離れない。だから、「そりゃ上を目指したいけど、少なくともチームがありゃ、Jがありゃそれでいいじゃん」って思っちゃうんですよ。一度優勝の甘美な毒に当てられたら、もう一度、またもう一度と求めたくなるのが世の常だけれど、でもそれだけがフットボールの生きる道じゃないんだ。
…というのを、いかに説教くさくなくさらっと書けるかっていうことをずっと悩んでました。どうも年を食えば食うほど説教くさくなってきておりまして、挙句の果てに私の文章そのものがつまらなくなって来てるのは、自覚してますから。書いてることの内容や思想にどんなに有効性があろうと、やっぱ読んで飲み込んでもらえなければパーだし、単なる独りよがりになってしまう。そして、そういう文章を読まされるのは、私だって苦痛だしね。フォーマットというか、見せ方は大事です。ピーマンだって、調理次第でピーマン嫌いのちびっ子でもおいしく食べてくれたりするんだから。
人の気持ちを自分に近いものに変えたりねじふせたり、ましてやコントロールしようとは思わない。でも、なんか書かずにはいられないのですよ。バナーに「ヤジより声援を」って書いたのだって、どんだけ伝わってるのか分からないし、昨日はやっぱりヤジや罵声が涌き起こってしまったそうで、残念でした。対面した上でのコミュニケーションとは違って、暗闇に向かって石つぶてを投げるようで、手ごたえの無いことの繰り返し。だけど、その暗闇に向かってどっかでぽっかり窓があいていて、誰かが見ていてくれるかもしれない。その可能性は、信じていたいんだな。
…ってまー、そういうことはmixiにでも書けやって青臭いことを思って昨日からすごしています。バナーどうしようかなー。うむむ。