本日の読了:えのきどいちろう「サッカー茶柱観測所」
いやあ、読んだ読んだ、読みきった。ここ2週刊ばかり、通勤電車の中で少しずつ、酢昆布を口の中でしがんで味わいつくすような心持で、楽しんでおりました。読み終わった場所は、診療所の待合室でしたけど。
- 作者: えのきどいちろう
- 出版社/メーカー: 駒草出版
- 発売日: 2007/04
- メディア: 単行本
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ただ、東京の下町にお住まいということもあってか、えのきど氏は大阪のチームであるガンバにはあまり触れてくださいません。少々ネタバレになりますが、ガンバ優勝のときも、「ガンバというチーム」をえのきど氏の視点から書いていただけると思ってたのに、なーんもなかったorz ただ、最後のほうで大阪ダービー観戦記はちょこっとでてきますけどね。まあ仕方ない。ガンバだけが日本のサッカーじゃないし。
微に入り細に入ってみる
印象深いコラムは、2003年6月17日付で秋田豊氏コラムを紹介している「ギラギラしている」(秋田さんの恐ろしい気合)、今、ジーコジャパンの顛末をすべて知っている立場から読むと、しみじみしすぎて泣けてくる、2003年7月15日付「日本人は、ブラジル人か?」(4年間見てる側は、ずっとこの問題と格闘し続けてた気がする)。
ちょっと変り種なのは、必勝祈願についてまとめた2004年3月30日付「すいませんJ2入りませんでした、こんどやります、あと関係性とか説明したいんだけどスペースがない。とりあえず柏×清水は「稲荷ダービー」ってことで。」(長いな!)と2004年4月13日付「サポーテッド・バイ・神仏(J2編)」(これ読んでそういえば!って思ったんですが、うちの西野さんは必勝祈願しないよなー)。笑っちゃったのは2004年10月26日付「欠場理由」(いわゆるスペランカーネタ)。今度いつ開催されるか良く分からない大阪ダービーの熱気を捉えた、2006年10月14日付「日本のマンチェスター」も見逃せない。そういえば、西野さんって戦術はともかく立ち位置は、サー・ファーガソンっぽくなってきましたね。安田もいっそ、俺だけのライアン・ギグスみたいになってくれんかしら。
あとは、2003年7月29日付の「コタビ」も、連綿と続く日本サッカーと私たち、そして選手個人の物語の切り替わりにおけるどたばたと切り替えと前進のスイッチングを描いているあたりが興味深かった。私もここらへんで「物語」という言葉とサッカーをリンクさせて書いたことがあったけれど、このコラムにも、印象深く「物語」という言葉は使われています。パスという名の糸が織り成す、怒りと悲しみと喜びと笑の一大絵巻。2002年のワールドカップが終わってから2003年までは、日本のサッカーもなんかドタバタしてて落ち着かなかったのを覚えてます。ガンバでも、ことあるたびにネット上で西野氏ね氏ね氏ね氏ね言われてたしのう。皆さん短気で若かったのう(お茶をずずずーっとすすりながら)。あんとき西野さんがほんとに死んでたら、いまごろえらいことなってましたね。生きてるって、すばらしいねまったく。
一つのチームに入れ込む人間として、踏み絵みたいに思えるのは2004年2月17日付「選手総とっかえ」。ジュビロ磐田と、東京ヴェルディ1969(当時。今年から西暦はとれたもよう)の選手が総とっかえとなったら、どうするどうなる?って内容なんですが…ガンバで言うと、セレッソと選手が総とっかえになったら、さて?ってことかな。
これについては私の答えは明確。誰がこようと、ガンバのユニを身に着けてプレイしたら、「うちの選手」ですから、ガンバを応援しますね。今までいろんな選手に出て行かれて、おいてかれても、やめなかったし。そりゃあごくたまに、ガンバ戦でなくても埼スタに「都築、やっとるか」って観に行ったりはするし、これからの競技人生が上手くいくならいけばいいって思うけど、でも応援はしない。ただ、ガンバにいた事実は忘れない。そういうもんです。選手以上に長いときを、ガンバとともにすごしてきて、私はガンバというフィルタを通じてサッカーや世界と相対してきました。そう簡単には変えられません。
ただ、私の見方が正しいってわけじゃないし、「選手と一緒にクラブを移籍する人」にバッテンはつけない。もともと、そういう権利ももっていません。力点を置く位置は自己責任で、人それぞれですからね。ただ、「なんでサッカーを観てるんだろう」とたまーに自分の軸が分からなくなったら、この問いかけを思い出してみるのも、いいかも。
てなわけで長くなりましたが、いい本ですよということで、通勤通学のお供をお探しの方は参考にしてみてください。分厚くはありますが、ソフトカバーなんで扱いやすいですよ。