うららかびより

家族のこと、趣味のこと、その他いろいろなこと

むかしのわたし

風呂入ってお皿を洗ったあと*1スパサカの時間まで世界柔道見たりペディキュア塗りながらダラダラ作業していたら、もうこんな時間ですよ…アイター。しかしスパサカ。わたしゃー国粋主義者ではないですけど、J1J2の結果を待ちわびている人間に20分間延々とW杯予選を見せるなんてそりゃ無いよと思いました。そりゃああのなかの3カ国とは確実に当たるのだし、邪険には出来ないけど。言ってしまえば、ここをどこの国だとおもっとんのじゃい、って気分でしたよ。あんたらの報道の基本は一体どこだ、日本じゃないのか?と。
でもスペインやフランスが、ドイツ大会で見られなかったら(や、私は貧乏暇なしコネなしなんで、現地にはとてもいけませんが)寂しいなあ…と思う私がおります。
そんなワールドカップ絡みの映像を観ているうちに、ふっと日韓大会時の私を思い出してみました。
…職も夢も希望もなく、自信のなさを装いながらも、大学を出たっていう変なプライドだけがあってそれにすがることでしか自己を保てなかった。正社員はおろかバイトの面接すら通らない。一言で言うと、どん底でしたねえ。チケットは応募しようにも数千円のお金も捻出できなかったし、コネも無い。せめボランティアを…って思ってたら、選考でおっこっちゃってですね。お陰で地上波でやってた試合は全て観られましたけど、何が起こるかわからないサッカーを観続けることで自分を誤魔化しもし、「私にだって何が起こるか、起こせるかまだわからない」と辛うじて意識を現実につなぎとめる糸としていました。
でもやっぱり、みじめなのには変わりなく。こんな近くで世界レベルの試合が繰り広げられているのに、なんで私は行けないんだろうと。んなもん、金が無いからに決まってますね。どんなにバランスを崩していても、それくらいは判りました。もうなりふり構わず働きたくて、仕方なくなりました。それで登録バイトに応募して、ろくすっぽ面接もしないような所でしたが、倉庫や内職作業で働き出したんです。通販会社の発送・梱包作業に、化粧品容器の検品を一日立ちんぼでこなしたり、とか。大卒の人間がやる仕事じゃないのかもしれない。実際、1日働いて得たお金は少なかったけれど、嬉しかったですね。いやな仕事もあったけれど、1日我慢すればって思ってなんとかのりきって、それの繰り返し。端から見ていてそんなに惨めじゃなかったのは、周りの人間が誰も私を知らないってことと、私が上手い具合にそういうバイトにいそうな年代に見える位の童顔だったからでしょうね(今はちょっと老けたけど)。
その収入を元手に、いまのサイトをやってるサーバを借りたのです。あの時は定番で5時きっかりに必ず終わる仕事をしていたから、運営もかなり滞りなく出来たし、毎日2時まで夜更かしをする体力もありました。出来れば体力だけ、あの頃に戻りたいですね(笑)。
それが、ひょんなことから2年前にたまたま空きがあったからっていい加減な理由で廻された、今の会社のレギュラーワーク。人並みにお休みがもらえて、デスクワークで。無い知恵絞って工夫したら、きちんと認めてもらえる。たまに飲み会にも連れて行ってもらえる。土日にも休める。お金が減るけど、好きな時に休ませて貰える。人から比べたら随分と、6年くらいまわり道したけれど、ようやく安定収入が得られる立場になって、生まれて初めてきちんとした仕事が出来るようになったのがうれしくて。サッカーも関東近郊なら好きなだけ観に行けるようになりました。どん底に落ちたときでも、私を忘れずにいてくれた人たちに、すこしずつ、恩返しできるようにもなりました。
でも今は、相方に会うことばっかりに一生懸命になってしまって、どうも友達をないがしろにしているような…よくないですね…。もうもてたことなんて全然なかったから、必死なんですよ。からからのまま終るんだと思ってたから。ああ、いたいたしいなこの人(遠い目)。
私のワールドカップとワールドカップの間は、そんな具合に過ぎていきました。いろんな事がギュウギュウで、あっという間でした。高校時代に人生のスイッチを押したサッカーが、また起動不可能になりかけた私を、再起動させたのはたしか。もうとりつかれているんでしょうね。我ながら業が深いです。
ガンバにも同じくらい色々な事がありましたね。耐え忍ばなければならない時期も長かったですけど、ようやくつぼみが膨らんで、花開こうとしています。時々、何もかも揃ってしまったら、一体どうなるんだろうと恐くなります。まだまだサポとしての度胸が足りないということなんでしょう。何があっても、(許す許さんは別として)受け止めて分かち合う。これが究極であり基本なのかなあ、と。どこまで行っても着いていくけど、従うんじゃなくて、味方。今はそういう気持ちでまとまりつつ有りますよね。一度ギスギスした時を乗り越えたからこそ、今の結束があるんじゃないかと思います。
ガンバも私も、この今の状態は、暫く続くでしょう。それが良いのか悪いのか、分かりません。私の一生やガンバ大阪というクラブはまだ終ってないし、これから先何が起こるかわからない。人の評価は自分ではなく第三者が決める事だとは思います。
でも幸せか不幸せかどうかは私が決めたい。
そして私はいま、なかなかに幸せです。たまたま大阪の吹田ってとこで生まれたのがきっかけで、ガンバに関われていることも含めて。
なんだかまとまんないけど、時々まだ気分が落ち込んだりするときもあるけど(ってキキじゃないんだから)そんな感じですな。

*1:一日家を空けるからには、これくらいはやっとかないと尾思いまして…明日は6時おきで洗濯だあ